親切が戻った話

 この度、昭和41年12月20日付の塗料報知新聞の社説「塗窓」が55年の時を経て、弊社に再び戻って参りました。 

 前回の東京オリンピックの前後は、弊社にとって激動の時代といえるほど、経営が厳しい時期であり様々な動きがありました。

 苦難の一つであった東京営業所の改革が、親切が巡り巡って成功したエピソードについて、社説「塗窓」として記事になったものです。 
 
 当時、先々代と友人関係であった、塗料報知新聞社先々代の社長の有馬順二様に、大変お世話になっておりました。その関係で、先代が大学に進学する際に、有馬様に身元保証人のお願いと下宿のご紹介をして頂きました。

 無事に大学を卒業出来た御礼と就職のご挨拶に、塗料報知新聞社様と下宿先に伺いました。有馬社長には叱咤激励されましたが、下宿先ではご主人が急逝され、大変なことになっていました。

 働き者で気心を知る親切な下宿のおばさんに、営業所の所長として勤務頂き、浅草にあった営業所を下宿先に移転し、給料と家賃を受け取って頂ければ、一家が路頭に迷うことがなくなるだろうし、受けた恩は今返したいと申し出たところ、おばさんはこの提案を快く受け入れて頂きました。

 下宿の仕事と旅行会社への営業活動を両輪で勤しんで頂いたお陰で、急務だった首都圏営業戦略が成功し、厳しかった旅館経営が良い方向に向かい、有馬順二様の情けが巡り巡って実を結んだ実話です。 

 有馬順二様や下宿先のご協力のおかげで、弊社が現在無事に営業活動が出来ているものであります。
 
 現在も下宿先の皆様とは親族同様のお付き合いをさせて頂き、本当に感謝しております。
 
 またこの度、有馬順二様のお孫様である有馬弘純社長様に、忘れかけていた55年前のエピソードを思い出させて頂きました。重ねて感謝申し上げます。 

 「情けは人の為ならず」を肝に命じ、苦難の時に手を差し伸べて頂いた方々からの御恩は忘れずに家業に勤しみます。