代表者ごあいさつ

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 丸京グループは、旧来より温泉観光地における様々なビジネスに取り組んで参りました。

 代々受け継いできた山林業と木炭の製造販売に始まり、水資源の供給と水力発電所の誘致、交通網の発達に伴う一大観光地へ変革に合わせ、駅構内売店、ホテルテナント、旅館ホテル、ガソリンスタンド、レストラン、旅館食品残渣のリサイクルなど祖父が多くの事業に進出し順調に至りましたが、運命を大きく変えた出来事がありました。

 昭和35年、来たる東京オリンピック開催に先駆けて、100名収容の中規模旅館から250名以上収容する団体向け温泉ホテルに建替え、オリンピック観戦者を対象に集客しようと、大胆に設備投資をしました。しかし目論みははずれ、お客様が思うように来ませんでした。

 追い討ちをかけるように、国会でも取り上げられ書籍化と映画化された「飯塚事件(税理士と国税局の対立」に巻き込まれ、厳しい税務調査を受け、資金の多くを失い、一転してどん底に落とされてしまいました。

 その頃の父は故郷を離れ、大学を卒業後大手企業でサラリーマン生活を送っておりましたが、苦境にある実家を捨てきれず家業に専念することになりました。
 改革の手始めとして金融関係の調査を始めました。銀行から厳しい要求をされたようです。ホテルの建物や土地は当然ですが、ほかの所有不動産や伯父が伯母が所有する不動産に根抵当権の設定と遊休不動産の売却を迫られ、借入金の返済を要求されました。しかし、他の事業は健全経営で借金はありません。伯父や伯母にとっていい迷惑でしたでしょう。
 父は支店長や担当者の方と銀行本部に直談判にも行ったようです。返済の猶予、金利の減免交渉、など若干二十代の若者が体当たりでぶつかって行きました。
 銀行や取引先から信用を得る努力と共に、団体客から個人客グループ客への客層の転換を図ったようです。個人シフト向けに改装工事を少しずつ手掛け、お風呂は湯量に応じた容積とし、豊富とはいえませんが、硫化水素臭が漂う単純泉で泉質が良い高温度の源泉がありましたから、それを有効に活用できるように工夫したそうです。
 エージェントへの営業も活発に行いましたが、殆んどが門前払いだったそうです。「クレームが多いから送客しません」ということです。それでも、粘り強くしつこく通いました。各旅行会社営業所やバス会社に母も同行し、無我夢中で営業活動に励んだようです。車にパンフレット手土産を満載し一軒一軒廻り、弱点を克服するために、誘客に合わせ勉強したそうです。田舎から通い詰める父や母を追い返さなくなったのです。一組のお客様をきっかけに次々と送客してくれるようになりました。

 一人一人のお客様を大切にし、痒いところに手が届くようなサービスを手がけ、一年に一度お越しいただいていたお客様が、半年、一ヶ月、毎週末とご宿泊されるようになりました。また旅行社にもお客様から感謝の手紙や電話が届き、社用プライベートいずれを問わず、私どもの旅館をご指名下さる様になり、お蔭様で自由自在に集客できるようになったそうです。
 腕の良い料理長のスカウト、売り上げを上げることが得意な仲居、東京営業所の立て直し、仕入れの細分化、安定した資金繰り、人材の適材適所への配分など、今で言う「アナログ」方式でしたが、旅館の建て直しを図り、経営が安定し地域一番の繁盛店に仕上げる事が出来ました。
 やがて旅館の立て直しが、取引銀行やエージェント様、取引業者様の口コミで、再生成功事例として同業の方を中心として広がっていきました。新婚旅行を兼ねて、全国の旅館の後継者や銀行の方々が、父に相談に来る様なケースが増えてまいりました。
 後継者不足に悩む旅館ホテルの社長、残念ながら志半ばで閉業する旅館ホテルの女将さん、自然災害で再開できない旅館ホテル経営者、バブル崩壊で債権者に追われる旅館ホテル家族一家、最近では旅館ホテル耐震診断の結果莫大な費用が発生し耐震補強が出来ずに悩む旅館ホテルオーナー、そのような方々のお気持ちは、痛いくらいにわかります。
 また、旅館ホテルの新規開業を望む経営者らとの接触で、私共も新鮮な空気を頂いております。 
 先人の志を受け継ぎ、更に現代に合わせ、地域の発展の一役を少しでも担うことを第一に事業を執り行います。
 これからも皆様の良きパートナーとして誠心誠意尽くしてまいりますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 以上乱文ではございましたが、ご挨拶とさせていただきます。
                                         有限会社丸京
                                  代表取締役 沼 尾 佳 乃

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